嵐・相葉が「志村どうぶつ園」“相続” 番組名変えずメインMCに

 遺志は相葉が継ぐ! 新型コロナウイルス肺炎により死去した志村けんさん(享年70)は31日、都内で荼毘(だび)に付され、生まれ故郷の東京・東村山市の実家に、遺骨となって無言の帰宅をした。悲しみはいまだ広がり続けるが、志村さんの遺志を受け継ぐため、前向きな動きも出てきた。冠番組「天才!志村どうぶつ園」(土曜午後7時、日本テレビ系)が番組名を変えず、共演していた嵐・相葉雅紀(37)を新司会者に据え、そのまま続行するという。

 志村さんは毎週放送のレギュラー番組として、自身の冠番組「志村どうぶつ園」と「志村でナイト」(フジテレビ系)を持ち、特別番組として「志村けんのバカ殿様」「志村けんのだいじょうぶだぁ」(ともにフジ系)にも力を注いできた。

 志村さんは「8時だョ!全員集合」(TBS系、1969~85年)、「ドリフ大爆笑」(フジ系、77年から不定期)でザ・ドリフターズの一員として活躍後も、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系、86~92年)などでコントで笑いを届けてきた。その流れは「バカ殿」「だいじょうぶだぁ」まで続いていた。

 一方で異色だったのが2004年にスタートした「志村どうぶつ園」だった。

「いまや珍しくないですが、トーク番組のゲスト以外ではカツラが定番だった志村さんが、文字通り動物好きの素顔を見せる番組として、画期的だった」(テレビ関係者)

 自ら進んでロケにも出向き、多くの動物との触れ合いも名物となった。

 同番組を見て育った若い世代は、志村さんをコメディアンよりも、同番組の「園長」として認識している人も多い。そんな番組だけに、志村さん急死後の存続を心配する声も上がっていたが、日テレはある方針を決めたという。

「番組は継続される。レギュラー出演中の相葉雅紀が総合MCに昇格し、山瀬まみとともに進行する。番組のタイトルは志村さんに敬意を示すため、そのまま変えない。GW(ゴールデンウイーク)には、志村さんがパンくん(チンパンジー)などと繰り広げた珍道中をまとめた追悼スペシャル番組も放送予定です」(日テレ関係者)

 番組を引き継ぐ相葉もジャニーズ事務所を通じて「志村さんにゆっくりお休みして頂ける様に、少しでも前を向こうと思います」と追悼コメントを出しており、志村さんの遺志を守る思いは熱い。

 さらに毎年恒例、8月の「24時間テレビ」でも相葉を番組の先頭に立たせ、志村さんの特別コーナーを制作し放送する予定だとも。

 志村さんの人間観察の鋭さ、研究熱心さは、今後も語り継がれそうだ。夜に飲み歩いたのも、すべては仕事に通じるものがあったからだ。

 有名な「アイーン」のギャグも酒席から生まれたのは有名な話だ。

「ある料亭で芸者遊びをしていたところ、芸者さんにしゃくれた人がいて、後日、それがおかしくて、思い出し笑いをするほどだったので、マネをしたところ、大いにウケた。それから、あのギャグが生まれたそうです」(お笑い関係者)

 普段は真面目そうな人でも、お酒を飲むと本性が出る。それを見聞きするために酒場に通っていたのだ。

「志村さんはお酒の場で“人間観察”を怠らずに、笑いにつなげていた。もちろん、楽しく飲むのが一番ですが、どんな状況でも常にアンテナを立てていた。ストイックでした」(同)

 腰が曲がったキャラクター「ひとみ婆さん」も「仕事の後に寄っていた定食屋のおかみさんがモデルで、志村さんは床山さん(カツラを作るスタッフ)を連れて、そのキャラクターをリアルに作り上げたのは有名な話」(テレビ関係者)

 昔かたぎの芸人らしく、お金の使い方もきっぷが良かった。酒の場でもそうだったが、昔は人に頼まれて、本名の志村康徳名義でJRAや地方で競走馬を所有したこともある。

「北海道の馬の仲介業者から泣いて頼まれ、買ってあげた競走馬もいたそうです。頼まれたら断れない性格だった」(別のテレビ局関係者)

 JRAで2003年にデビューした「アイーンベル」は、新馬戦で武豊が騎乗した(2着)ことでも話題になった。

頼まれたら断れない性格。テレビ越しの志村さんを振り返ると曲がった事が嫌いな印象があり、たまに声を荒げる姿は色気ありますよね