挑戦の言い訳

仕事に追われる毎日。
「休みます。」そんな一言が言いづらい日本の雰囲気にのまれたくないという反骨心を糧に始まった休み癖が、僕の人生を大きく変えた。
当時、元嫁が家に帰ってこなくなり家賃2万円のボロアパートで2歳の息子と生活する中、離婚を心に決めていた。
元嫁のお父さんの紹介で入社した派遣会社の営業として働いていたので、いづらくなってすぐに辞表を持っていったが、その時点ではとくに行く当てもなかった。
以前お世話になっていた重量屋に駆け込んで「働かせてください。」と頼んでみたが、人が足りているので知り合の塗装屋を紹介してもらい塗装職人としての生活がはじまった。
1年ほど経過した頃、漠然と「社長になって自由になる。」という思いが強くなり、足場屋になって下請けを目指すようになる。
朝6時起きの20時帰宅が当たり前で体力の限界を感じていたが、毎日全力で仕事をこなした甲斐もあり1年で独立できた。
それでも足りずYouTubeを投稿したりウェブサイトをいくつも作成しながら更新してみたり、いろいろ挑戦を繰り返していた。
やりたい事が行動できるようになってきて、セブ島でダイビングをしたいという思いが強くなったので元請けの管理者にはっきり「休みます!」と伝えて旅行の日取りを伝えた。
今では何とも思わないが、その頃休む決意を伝えるのは勇気がいる事だった。
少しの勇気を振り絞った後は、フッと肩の荷が降りた。
セブ島での1週間では自由を感じる事ができ、何もしない贅沢や、自分の時間を楽しむ事に酔いしれていた。
それを経験してから休む事が怖くなくなり、むしろ最高のご褒美だと感じるようになった。
仕事に追われる毎日を過ごしていた僕にとって”自由”を感じる事はとてつもない高揚感に包まれる時間。
フラッと立ち寄ったバーで外国人と歌ったりカタコトの英語でコミュニケーションをとりつつ初対面でハグしたり全てが新しい体験だった。
日本でこれを共有しようとすると、3割程度は否定的な言葉を浴びせられる。
職場に関しては8割は悪口だ。
みんな凝り固まった世界観に囚われているように見える。
つい先日、同級生とバーベキューしているときに宿泊施設の構想について話していたので「せっかくなら実現できそうな事を考えようよ、みんなで協力して何か形にしたい。」と言ったら「金ないでむり。絶対成功する事じゃないのに自分の時間を使いたくない。」という言い訳探しで一致団結していた。
金や自由が欲しいという割に何も犠牲にできないと言う。
そんな状態で何も実現などできるはずがない。
何十年も変わらないのはそれが原因だ。
完全に社畜脳で汚染されている。
やりたいことを達成するには1人で駆け抜けるしかなさそうなので、今日も一歩前に進む。