新しい町での生活が始まった。真琴ともう一人の真琴は、周囲から双子の姉妹として自然に受け入れられ、古い石造りの家を二人で借りて暮らすことになった。町の人々は彼女たちに親しげに声をかけ、学校でも特別な存在として注目を集めていた。
朝の光が窓から差し込み、木製の床に温かな色を落としている。キッチンでは、真琴がパンケーキを焼きながら鼻歌を口ずさんでいた。
「いい香りね」
もう一人の真琴がテーブルに花を飾りながら微笑む。
「あなたが選んでくれた蜂蜜、すごく美味しそうだったから」
「早く食べたいわ」
二人の生活は、長年連れ添った家族のように自然で心地よかった。お互いの好みや習慣を理解し合い、言葉を交わさなくても意思が通じることに驚きを感じていた。
学校へ向かう道すがら、彼女たちは道端の花や風の音に耳を傾けた。周囲の風景が鮮やかに映り、世界が少しずつ色づいていくようだった。
「今日は美術の授業があるわね」
真琴が言うと、もう一人の彼女は嬉しそうに頷いた。
「一緒に何を描こうか」
「昨日見た湖の風景なんてどう?」
「いいわね、あの夕日がとても綺麗だったもの」
教室に入ると、クラスメートたちが二人に手を振った。皆が彼女たちを温かく迎え入れてくれることに、真琴は心が満たされるのを感じた。
美術室では、二人で一つのキャンバスに向かい合った。筆が滑らかに動き、色彩が混ざり合っていく。まるで一人の人間が描いているかのような統一感があった。
「本当に息がぴったりだね」
教師が感心して言うと、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
放課後、帰り道で小さなカフェに立ち寄った。窓際の席に座り、暖かい紅茶をすすりながら今日の出来事を振り返る。
「ここに来てから、本当に毎日が楽しいわ」
真琴がカップを置いて言うと、もう一人の彼女も同意した。
「ええ、まるで夢の中にいるみたい」
しかし、その言葉の裏側に微かな不安が影を落としていた。最近、二人とも奇妙な感覚に悩まされていたのだ。
「ねえ、実は時々幻覚を見るの」
真琴が小さな声で打ち明けると、もう一人の彼女は驚いた表情を見せた。
「私もなの。誰もいないはずの場所で、人影を見たり、聞こえるはずのない声が耳元で囁いたり」
「やっぱり、同じなんだ……」
二人は黙り込み、テーブルの上で指を絡めた。心の奥底で何かが揺らいでいるのを感じながらも、その正体がわからないもどかしさがあった。
「一体、何が起きているのかしら」
真琴が呟くと、もう一人の彼女は遠くを見つめた。
「もしかしたら、私たちの心の中に原因があるのかもしれない」
「心の中……?」
「ええ。これまで目を背けてきた何かが、私たちに訴えかけているのかも」
その言葉に、真琴はハッとした。自分が抱えていた孤独や自己否定の感情が、形を変えて現れているのではないかと。
「でも、どうすればいいの?」
「一緒に向き合ってみない?怖いけれど、二人ならきっと大丈夫」
真琴は深く息を吸い込み、彼女の目を見つめた。
「そうね。一人で抱えるより、あなたと一緒の方が心強いわ」
その夜、二人はリビングのソファに座り、静かな音楽を流しながら話し合った。お互いの過去、感じてきた孤独、誰にも言えなかった秘密。
「実は、私……自分が誰かを好きになることに自信が持てなかったの」
真琴が勇気を出して告白すると、もう一人の彼女は優しく微笑んだ。
「私も同じよ。自分の気持ちが理解できなくて、ずっと悩んでいた」
「でも、あなたと出会ってから、少しずつ自分を受け入れられるようになった気がするの」
「私もよ。あなたがいてくれることで、心が軽くなるの」
二人は手を取り合い、互いの温もりを感じた。その瞬間、心の中の影が少しだけ薄れていくのを感じた。
しかし、深夜になると再びあの囁き声が耳元で響いた。
「真琴……真琴……」
二人は目を開け、部屋の中を見渡した。誰もいないはずなのに、確かに声が聞こえる。
「また……聞こえたわね」
真琴が不安げに言うと、もう一人の彼女も頷いた。
「ええ、でも今度ははっきりと」
「一体、何を伝えようとしているのかしら」
二人は立ち上がり、音のする方へと足を進めた。廊下を進むと、階段の下から薄明かりが漏れているのが見えた。
「行ってみよう」
恐怖と好奇心が入り混じる中、二人はそっと階段を下りた。地下室の扉を開けると、そこには古い鏡が立てかけられていた。
「この鏡……いつからここに?」
真琴が手を伸ばすと、鏡の表面が波紋のように揺れた。そこに映る自分たちの姿は、どこか歪んで見える。
「おかしいわ、まるで別人みたい」
もう一人の彼女が鏡に近づくと、突然周囲が暗闇に包まれた。囁き声が大きくなり、頭の中で反響する。
「逃げなきゃ!」
真琴が叫び、二人は手を取り合って地下室から飛び出した。家の外に出ると、冷たい夜風が頬を刺した。
「何が起こったの?」
息を切らしながら、真琴は震える声で尋ねた。もう一人の彼女も混乱した表情で首を振る。
「わからない。でも、あの鏡には何か秘密があるのかもしれない」
「でも、怖い……」
二人は互いに寄り添い、闇夜の中で震えていた。星空は雲に覆われ、月明かりも差し込まない。
「きっと、私たちの心の中の影が形を持って現れているのかもしれない」
真琴が思いつめたように言うと、もう一人の彼女は目を閉じた。
「それなら、逃げてばかりじゃ何も解決しないわね」
「でも、どうすれば……」
「向き合うしかないわ。自分たちの本当の気持ちと」
その言葉に、真琴は小さく頷いた。
「一緒にやってみよう」
「ええ、二人ならきっと乗り越えられる」
再び家の中に入り、二人は地下室へと向かった。恐怖はまだ残っているが、今度はお互いの存在が勇気を与えてくれていた。
鏡の前に立ち、深く息を吸う。
「私たちの中にある影よ、姿を現して」
真琴が静かに呼びかけると、鏡の中の像が徐々に変化した。そこには涙を流す自分たちの姿が映し出されていた。
「これは……私たち?」
「そう、ずっと抱えてきた悲しみや孤独が形になっているのかも」
二人は鏡に手を触れた。冷たい表面の向こう側に、自分たちの心の欠片が存在しているように感じた。
「もう隠さなくていいんだよ」
真琴が囁くと、鏡の中の彼女たちも微笑んだ。
その瞬間、鏡は眩い光を放ち、部屋全体が明るく照らされた。光が収まり、鏡はひび割れ、静かに床に崩れ落ちた。
「終わったの……?」
もう一人の彼女が呟くと、真琴は深く頷いた。
「ええ、これで私たちは前に進める気がする」
二人は手を取り合い、地下室を後にした。外に出ると、雲間から月が顔を出し、柔らかな光が辺りを包んでいた。
「見て、月が綺麗」
「本当ね。まるで新しい始まりを祝福してくれているみたい」
心の中の影と向き合い、乗り越えたことで、二人の絆はさらに深まった。これから何が待ち受けているかはわからない。しかし、彼女たちはもう一人ではない。互いの存在が、未来への希望を照らしてくれている。
「これからも一緒に歩んでいこう」
真琴が微笑んで言うと、もう一人の彼女も力強く頷いた。
「ええ、光と影を抱きしめながら」
二人の影が月明かりの下で重なり合い、新たな道を照らしていた。