夜の静寂が、二人の心を包み込んでいた。真琴ともう一人の真琴は、小さな灯りの下で古びた日記を広げていた。ページをめくるたびに、文字はかすれ、ところどころ消えかかっている。しかし、その断片的な言葉たちが、彼女たちの記憶の奥底に眠る真実を呼び起こしていた。
「この日記は、私たちのもの……?」
真琴は震える声で問いかけた。指先で触れる紙の感触が、現実感を伴わない。
「ええ、そうみたい。でも、どうして二人で同じ日記を持っているのかしら」
もう一人の真琴も混乱した表情を浮かべている。彼女たちはお互いの顔を見つめ合った。その瞳の奥には、同じ不安と戸惑いが揺れていた。
「ここに書かれていること、思い出せないの」
真琴はページに目を落とした。そこには、自分たちが同一人物であることを示唆する言葉が並んでいる。
「『私の心は二つに分かれ、迷い続けている』……」
その一文を読み上げた瞬間、二人の間に静かな沈黙が流れた。
「もしかして、私たちは一人の人間が生み出した存在なのかもしれない」
もう一人の真琴が静かに口を開いた。その言葉は、彼女たちがずっと感じていた違和感を説明していた。
「現実の世界で抱えていた孤独や苦しみが、この世界で形を持った……」
真琴は胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。これまでの出来事が、一つの線で繋がっていく。
「でも、どうしてそんなことが起きたの?」
「自分自身と向き合うことから逃げていたからかもしれない。心の中で分裂し、本当の自分を見失っていたのかも」
二人は互いの手を取り合った。その温もりが、確かなものであることを感じる。
「じゃあ、この世界は私たちの心の投影……?」
真琴は周囲を見渡した。美しかった風景も、今はどこか儚げに感じられる。
「きっとそうよ。この世界での体験は、自分自身と向き合うための旅だったのかもしれない」
もう一人の真琴は微笑んだ。その笑顔には、少しの寂しさと大きな優しさが込められていた。
「でも、そろそろ現実に戻る時が来たのかもしれないわ」
「戻る……?」
真琴はその言葉に戸惑いを覚えた。ここで過ごした時間は、彼女にとって大切なものになっていたからだ。
「ええ。本当の自分と向き合うために」
二人は決意を胸に、教会へ向かうことにした。道すがら、これまでの思い出が頭をよぎる。初めて出会った森の中、共に過ごした日々、笑い合った瞬間。
「あなたと過ごせて、本当に良かった」
真琴が静かに言うと、もう一人の彼女も微笑んだ。
「私もよ。あなたがいてくれたから、孤独じゃなかった」
教会に到着すると、重い扉を押し開けた。中はひんやりとしていて、静寂が広がっている。二人は地下室への階段を下り、ひび割れた鏡の前に立った。
「これが、境界を越えるための鍵……」
真琴は鏡に手を触れた。冷たく硬い感触が指先に伝わる。
「心を一つにすれば、道が開けるはずよ」
もう一人の真琴は優しく彼女の手を握った。その瞬間、鏡の表面が淡く光り始めた。
「見て、光っている……!」
二人は驚きと期待で胸が高鳴った。しかし、完全に道が開くには至っていない。
「まだ足りないのかしら」
真琴は不安げに呟いた。
「きっと、まだ私たちが受け入れ切れていない部分があるのかも」
もう一人の彼女は目を閉じ、深く息を吸った。
「自分自身の全てを認めること。怖いけれど、必要なことね」
「そうね。一緒にやってみましょう」
二人は手を取り合い、心の中で自分自身と向き合った。これまで避けてきた感情、傷ついた記憶、隠してきた本当の思い。
「私は私。全てを受け入れて、生きていく」
真琴は心の中でそう宣言した。その瞬間、胸の奥から暖かな光が広がっていくのを感じた。
「私も同じ。自分を愛してあげたい」
もう一人の真琴も静かに微笑んだ。
鏡の光は一層強くなり、ひび割れが少しずつ消えていく。
「これで、準備は整ったのかもしれない」
真琴は鏡の中に手を伸ばした。しかし、その先にはまだ現実の世界は映し出されていない。
「最後の一歩は、明日に託しましょう」
もう一人の彼女が提案した。
「ええ、今日はここまでにしましょう」
二人は教会を後にし、夜空の下を歩き出した。風が頬を撫で、星々が彼女たちを見守っているように感じられた。
「明日が来るのが待ち遠しいわ」
真琴はそう言って微笑んだ。心の中に、新たな希望が芽生えていた。
「これからも一緒に歩んでいきましょう」
もう一人の真琴も彼女の手を握り返した。
「ええ、どんな未来が待っていても」
二人の影が月明かりの下で重なり合い、一つの形を作っていた。それは、彼女たちが心を一つにし、新たな道を歩み始めた証だった。
その夜、真琴は穏やかな眠りについた。夢の中で見たのは、広大な海と果てしない空。そして、遠くで手を振るもう一人の自分の姿。
「待っていて、必ず辿り着くから」
彼女は心の中でそう呟いた。
目覚めたとき、窓の外には美しい朝焼けが広がっていた。今日という日が、彼女たちにとって大切な一日になることを予感しながら、真琴はベッドから起き上がった。
「さあ、行きましょう。境界線の向こう側へ」
彼女は静かに決意を新たにした。